自分は負け組と思っている人へ
「自分は負け組と思っている人へ」の、あ、これサッカーで見たやつだ。
負け組とは何でしょう。地位?名誉?金?容姿?
負ける必要の無いものに負けていませんか?
負けてもいないのに負けと思っていませんか?
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サッカー(特にプロ)では勝敗でしか結果が判断されないと言われがちです。もちろん「勝負という娯楽」では勝敗で判断されます。選手も「この試合、勝利以外は意味がない」と言いますが、本当にそうでしょうか。試合単位であれば勝敗がありますが、選手単位でみれば選手生涯での勝敗は決着していませんし、選手を引退した後でもその人生は続きますので、勝敗などつけられないはずです。
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自分は負け組と思っている人へ。
負けという概念であなたの人生をくくることは出来ません。
(サッカー選手でさえ勝敗でくくれないのです。)
「するべきだ」を多用する人へ
「するべきだ」を多用する人への、あ、これ、サッカーで見たやつだ。
例えば、男はこうするべきだ、女はこうするべきだ。という「するべきだ」は意識的にも無意識的にも私たちの意識に刷り込まれています。共同体で生きていく以上、ある程度の「するべき」は、役割分担の機能を果たしますが、行き過ぎると不満やコストの方がなりがちです。
サッカーでもサイドバックはこうするべきだ、FWはこうするべきだ、ということは言いがちですが、年々役割が増えてなんでもこなせる選手が生き残るようになってきました。例えばサイドバックでも守備だけでなく、組み立てを求められたり・・・。
我々一般人でもなんでもこなせる能力が必要とされている事が、生きづらさを生んでいるのかもしれません。(すべてこなせる能力の高い人はごく一部・・・)
本当の○○だけが正しいのか問題
本当の○○だけが正しいのか問題の、あ、これサッカーで見たやつだ。
「本当の~」と講釈たれる人ってうんざりしませんか。そんなことしていると本当の大人になれないぞ、本当の自分を探す、など本当の~でロクな言葉が見つかりません。本当とはなんでしょうか。物事を一面からしか見れない事でしょうか。
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「自分たちのサッカーが出来なかった。」という言い訳、よくありますよね。相手がいるスポーツで本当のサッカーを追及=自分たちのサッカーとか言われるとがっかり来ますよね。
それ、本当に正しいですか?
その気持ち、心にとどめておきたいです。
人間関係が長続きしない問題
人間関係が長続きしないという問題の、あ、これサッカーで見たやつだ。
毎年移籍するブラジル人選手や監督
補強や!ブラジル選手や!と報道され、ワクワクしながら経歴見ると毎年所属クラブが変わっている・・・という経験はありますでしょうか。(主にJ2以下でよく見る)サポーターとしては不安しかありません。しかし選手の立場に立つと、毎年挑戦しているとも言えますね。
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私たちの社会でも、第一印象がよくても時間がたつと人間関係が悪化していく・・・なんてことないですか。サッカー選手は毎年サッカーをしなければならないので大変ですが。それに比べ我々一般人は、サッカー選手ほど特化していないため異業界に退避することができます。今がダメなら必要以上に固執し体を壊すくらいなら、逃げの視点も忘れずにいたいものです。
「特別」になりたい人へ
特別な人になりたい人の、あ、これサッカーで見たやつだ
モウリーニョは「スペシャルワン」、本田圭祐はホンダケイスケと叫んだけども・・・。
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普通は嫌だ、普通は嫌だ、普通は嫌だと叫ぶ、特別な自分。
高度に情報化が進んだ現代、情報にまみれた人生を送る人は多いと思います。ひと昔前は、お山の大将でいれた”特別”な人も、現代ではSNSの荒波に放り出されると”普通”の人。
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サッカーも市場は”世界”へと繋がり、「スペシャルワン」になれる人は一部となった。地元では敵なしの点取り屋FWは、高校→プロと経るにつれ、MF→DFとポジションを下げていくことはとなる。
だがサッカーの良い点はポジション(正確には役割)がある。出来ること、出来ないことを認識した選手は強い。メッシにはメッシの、マスチェラーノにはマスチェラーノの役割がある。メッシが11人いても勝てない(明神が10人いれば勝てる説は検証不可のため不明)
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大体、今の時代、生き方に「自由」が過ぎませんか。メッシは自由でいいですがその他の10人は守備するでしょ普通。そう、少し不自由なくらいが羽ばたけるのが普通です。安易な「特別」にはご用心。
むなしいと感じるとき
むなしいと感じる時の、あ、これサッカーで見たやつだ。
あなたは知っていますか?横浜フリューゲルスという強いチームがいたことを。
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何のために生きているのか?と自問自答することは、誰しも一度はあると思います。回答なんて正解もないし、その理由もあるようでないような感じでしょうか。ただぐるぐる考えた先に「むなしい・・・」とニヒリズムに走ってしまいがちなものです。
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昔、横浜フリューゲルスというサッカーチームが存在していました。そのチームは天皇杯を優勝し、その数日後に消滅しました。理由はスポンサーの撤退。消滅と知らされても選手たちは懸命に戦い優勝を成し遂げたのです。人によっては、むなしい優勝ととらえた人もいたでしょうが、消滅してしまうからこそ何かを残そうと思った人たち(選手だけでなくサポーターなど関係者すべて)もいたわけです。
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クラブは無くなっても選手たちの人生は続くのだから、人生に悩む俺とは関係ないだろ!と思われるのもわかります。すべてを一緒には出来ません。ただ消滅ということに対して「むなしい」感じる人と、「何かを残そう」と感じる人がいるということは、私たちにヒントを与えてくれます。例えば人生に対しても、日本人は「一度きりの人生」という世界観の方が多いと思いますが、インド人はガチで輪廻転生の世界観で生きている人が多いです。横浜フリューゲルスの消滅は少し角度を変えて物事を見てみることを教えてくれます。
推しのアイドルが引退するという問題
推しのアイドルが引退するという問題。
推してるチームの好きな選手が移籍が、今回の、あ、これサッカーで見るやつ。
結論から先に言えば、アイドル好きの人はサッカーを見て好きなものを増やすことが解決策の1つになります。(その逆も真。サッカー好きの人はアイドルを見る)
アイドルは今、戦国時代。出入りも激しく、引退ともなれば喪失感は半端なじゃないと思います。そこで好きなものの分散として、サッカーが挙げられます。サッカーのクラブは(ほぼ)無くならないので。
まぁサッカークラブで負けが混むとアイドルに逃げるのですが。アイドルのライブに負けはありませんからね。